電力市場における蓄電システムの多機能価値評価と制度設計の課題
はじめに
脱炭素社会への移行において、再生可能エネルギーの主力電源化は不可欠な要素であり、その安定的な導入と運用には蓄電システムの役割がますます重要となっています。しかし、蓄電システムの普及を加速させるためには、その技術的な課題に加え、既存の電力市場における多機能な価値の適切な評価と、それを可能にする制度設計に関する課題が山積しています。本稿では、電力市場における蓄電システムの価値評価と制度設計に焦点を当て、その普及を阻む要因と解決に向けた政策的示唆について考察します。
蓄電システムの多機能性と既存市場における価値評価の課題
蓄電システムは、単一の機能に留まらず、電力系統に対して多様な貢献をなし得る特性を持っています。主要な機能としては、以下の点が挙げられます。
- 系統安定化サービス: 周波数調整、電圧調整、慣性力提供など、電力系統の安定運用を支える役割。
- 電力需給調整: 再生可能エネルギーの出力変動吸収、ピークカット・ピークシフト、ディスパッチ可能な電源としての活用。
- 送配電設備投資の延期(T&D deferral): 送配電容量の逼迫区間において、一時的な蓄電システムの導入により大規模な設備増強投資を延期または回避する効果。
- エネルギー取引: 安価な電力の購入・貯蔵と高価な電力の販売による収益機会(アービトラージ)。
これらの多岐にわたる機能は、それぞれが電力系統に経済的・社会的な価値をもたらします。しかし、既存の電力市場は多くの場合、発電、送電、配電、小売といった垂直分離された各事業体が担う単一のサービスを前提として設計されており、蓄電システムが複数のサービスを同時に、あるいは時間差で提供する「バリュースタッキング」の概念を十分に組み込めていない現状があります。このため、蓄電システムの有する真の経済的価値が適切に評価されず、十分な投資インセンティブが働かないことが普及の大きな障壁となっています。
制度設計における具体的課題
蓄電システムの多機能価値を市場に適切に反映させるためには、現行の制度設計においていくつかの具体的な課題が存在します。
1. 市場参加者としての位置づけの曖昧さ
蓄電システムは、充電時には需要家、放電時には発電機として機能するため、既存の市場ルールにおいてその位置づけが不明確な場合があります。これにより、市場への参入障壁が高まったり、複数の市場への参加が制限されたりするケースが見られます。一部の国では、蓄電システムを「独立した市場参加者」として明確に定義する動きも進んでいますが、その定義や権利・義務の範囲は各国・地域によって異なり、標準化には至っていません。
2. バリュースタッキングを可能にする市場設計の不足
前述の通り、蓄電システムは複数の価値を提供できますが、現行の市場では、ある時間帯に一つの市場で収益を得ると、同時刻に他の市場での収益機会を逸失するといった排他的な構造が一般的です。例えば、周波数調整市場に参加している間に、需給調整市場や容量市場、あるいは卸電力市場での取引が制限されるケースなどです。これを解決するためには、各市場間の連携を強化し、複数の市場での価値提供を同時に評価・報酬するメカニズムの構築が不可欠です。
3. 接続規制と運用ルールの複雑性
電力系統への接続規制や運用ルールも、蓄電システム普及の課題となっています。系統接続のプロセスが複雑であること、接続費用が高いこと、系統混雑時の出力抑制リスクなどが投資判断に影響を与えます。また、安全性確保のための技術基準や運用ガイドラインが、新しい技術である蓄電システムの特性を十分に考慮していない場合もあり、迅速な導入を妨げる要因となることがあります。
国際的な取り組みと政策的示唆
こうした課題に対し、欧米を中心に様々な政策的・制度的アプローチが試みられています。
- 米国: 連邦エネルギー規制委員会(FERC)は、Order 841において、地域送電機関(RTO)および独立系統運用者(ISO)に対し、蓄電システムが卸電力市場において、その技術的特性を反映した形で参加できるよう市場ルールを改訂するよう義務付けました。これにより、蓄電システムが発電、送電、需要の機能を複合的に提供できる「ハイブリッドリソース」としての地位を確立し、複数の価値を収益化する道が開かれつつあります。
- 欧州: 欧州連合(EU)のClean Energy Packageでは、エネルギー貯蔵を独立した市場参加者として認識し、系統事業者(TSO/DSO)が所有・運用できる範囲を制限するなど、市場競争を促進するための枠組みが導入されています。
日本においても、容量市場や需給調整市場の導入が進められており、蓄電システムがこれらの市場において一定の役割を担うことが期待されています。特に、需給調整市場における三次調整力以降の領域では、その迅速な応答性が評価され始めています。しかし、多様な価値を最大限に引き出し、投資を加速させるためには、更なる市場設計の洗練が求められます。
政策担当官が考慮すべきは、以下の点であると考えられます。
- 市場ルールの見直し: 蓄電システムが提供する多様なサービスを公平かつ包括的に評価し、バリュースタッキングを可能にする市場ルールの検討。
- 系統接続プロセスの合理化: 系統への接続を迅速かつ費用効率的に行えるよう、規制・手続きの簡素化と明確化。
- 実証事業からの学びの活用: 国内外で実施されている実証事業の成果を積極的に収集・分析し、市場・制度設計へのフィードバックを強化すること。
- 長期的な視点での政策立案: 短期的な市場価格変動に左右されない、蓄電システムへの長期的な投資インセンティブを提供する枠組みの検討。
結論と展望
蓄電システムが持つ多機能な価値を電力市場に適切に組み込むことは、再生可能エネルギーの最大限の導入、電力系統の安定化、そして最終的には国民経済全体のレジリエンス向上に不可欠です。技術開発の進展とともに、その経済的合理性が高まりつつある蓄電システムですが、その潜在能力を最大限に引き出すためには、現状の電力市場や制度設計が抱える課題に対し、政策当局が国内外の事例を参考にしつつ、継続的な見直しと改革を進めていく必要があります。これにより、持続可能で強靭なエネルギーシステム構築に向けた、蓄電システム普及の道筋がより明確になることが期待されます。